君はその青年に会ったことがあるのかい?
勿論だよ。みんなあるさ。
+少年に捧げる(夢)+
深夜を少し過ぎた頃の真っ暗な異空間に 青年は浮かんでいた。
不思議な場所だった。
何度来ても違和感を感じる。
彼はゆっくりと深呼吸をした。
少し身体が強張っている。仕事でいつも来ているのだが、どうしても好きになれないのだ。
当然の如く、この場所に重力はない。
‘人間’と呼べそうなものは彼の他にはいなかった。
太陽もなく、生命もない。
真っ暗な空間に居るのにも拘らず其処は光で満ちていた。
その根源は無数のシャボン玉・・・否、 シャボン玉というには大きすぎるかもしれない。
触れば弾けそうな、そんな珠がそこら中に漂っている。
闇色のマントをかき寄せながら、青年はそのうちの一つに近寄った。
離れていると虹色に輝いて見えるだけだった珠の中では、よく見ると何かが蠢いている。
「・・・7歳男子。 ジャンルは、未来ね。昨日は悪夢だったから丁度良いか。」
彼は中を覗き込みながらぼそりと呟いた。
映っていたのは、広い球場だった。スタンドに空き席はなく、その全員がたった1人の名を呼び続けている。
そしてその中央で、長いバットを構える少年。どうやら名前を連呼されているのは彼らしい。
スコアボードは0対0。カウント、ツーストライク、スリーボール、ツーアウト。
凛々しく、真剣な顔立ちのバッターと 汗を流しているピッチャー。
腕が振りかぶられ・・・ そして・・・
「次は、ホームランかな?」
結果は見届けずに、彼はその珠から離れた。
「良い夢だよ、本当に。」
そして手近な別の珠を覗き込む。
今度の珠には宮廷の様子が映されていた。
威張り腐った男が周りの者に向かって言っている。
「追放された前王の家族を発見した。
女と老人はほっといても良いが、健全な息子は不味いので、それを拘束にするに至った。
彼を拷問しろ!!・・・それで」
青年は直ぐにその珠から離れた。
「大人の夢はつまらないよな。」
どのくらいの時間が立ったのだろう。
その間中青年は頷いたり、顔を顰めたりしながらその作業を続けていたのだが、突然 一つの珠に釘付けになった。
何ら他の珠とは変わらないように見えるが、若干中身が黒味を帯びている。
その夢の持ち主は 年端の行かぬ少年だった。
「・・・あちゃー。これは酷い。」
改竄された夢、ならまだ良いのだけれど。
中を見ながら心の中で思う。
しかし、本日 青年は未だ人の夢を覗いているだけで、直接手を下したりはしていない。
そして、この地域担当は今日に限っては彼1人。 というか、他の同業者は 祝日の為に休業している。
悪夢を配ることの出来る人間は、 此処には居ない。
必然、 この夢は自然発生的なものになる・・・
聞いたことはないだろうか?
夢は 人の要らない記憶から出来ていると。
要らない記憶は 覚えておきたくない記憶と 等号関係で結ばれる。
それならば、
夢に出てきたことは、多少なりとも現実なのだろう。
だから 彼が配った夢でない限りは 貴方の見る夢も きっと現実に関わりがある筈だ。
話を戻そう。
その夢の舞台は闇の中。
石の壁、コンクリートの床が 辛うじて高窓から入ってくる月光によって僅かに照らされている。
鉄格子の他には何もない。 そこは正真正銘の 牢屋のようだ。
その床に 1人。
骨と皮だけで出来たような姿の少年が、 両手両足を鎖で繋がれている。
着ているものは殆ど破れ、原形を留めていない。
その表情は全く読めなかった。
眸は虚ろな灰色で、光さえもなく。
露になった肌は勿論顔までも 生々しい傷で覆われていた。
そして 今も。
陰になった部分から、 真っ黒な鞭が 彼の身体を打つ。
一回 二回。
パシリ パシリと。
その度に 低い唸り声を上げる少年。
何の抵抗もなく、それでもただ 唸り続ける少年に、 しかし鞭は容赦なく襲い掛かる。
傷口が開いて、 血が光を受けて ギラリと 光って。
それでも 鞭は止まらない…。
「 止まれ ! 」
と。
青年が此方側で叫んだ。
鞭の動きが止まる。
否、珠の中の物が全て停止している。
但し、少年は 微かにではあるが動いていた。
それを見ると、青年は満足そうにゆっくりと珠に触れた。
ほんの僅かだが、唇が微笑んでいる。
手に合わせて、ほんの少し珠が凹む。
凹んだと思ったら、彼の腕は珠の内側に入っていた。
弾けない所を見ると、シャボン玉というよりは 宇宙空間における水滴と考える方が近いらしい。
彼の腕が珠の中に引き込まれる。
頭、胸… 最後に足。
ゆっくりと 彼は夢の中に侵入していった。
音が止まる。
神経なんてもの、とっくの昔に事切れていたが それでも 少年はそれを感知した。
「・・・何を今更。」
しゃかしゃかと耳障りな音がする。
元々綺麗と褒められることの多かった声が台無しだった。
溜息をつく気にもならない。
このタイミングで拷問を止められた所で、彼にとってはどうということも無かった。
寧ろ、意識が残っているということが恨めしい。
「・・・うわっ、これって現実連動性夢なの?」
―― さいあくぅー
と。
やけに明るい声が響く。
しかし もう少年には反応する力は残っていない。
「・・・無視っすか?」
その声は 数秒の沈黙の末 明らかにがっかりしたように言った。
拷問をしていた人間じゃないらしい。
この数日間、少年を痛めつけ続けていた人間が こんな口調を持って話す訳は無かった。
「から―― だうごか―― せなくて―」
ゆっくりと言葉を紡ぐも、聞き取りにくい音しか耳に届かない。
声が。
声が 壊れていた。
改めて思い知る。
「んー? そーなの。 でもさ、今に限って言えば それはお兄ちゃん次第なんだけどね。」
にやり、と笑みを浮かべながら誰だかわからない彼は言った。
「・・・かもしれないです。」
少年は曖昧に強張った笑みを返す。
尤も、顔の傷の所為で 笑みと判断するには相当な苦労を要するが・・・。
「君に僕の存在が分かる限り、君は自由に動ける筈だよ。」
と、彼は気にせずに続けた。
「動いてごらん。」
悪魔の声ではないか、と少年は思った。
この身体で這いずり回るのが見たい悪魔だと。
けれど、今に限っては鞭打ちを逃れている訳で(尤も ただ単に神経が麻痺しただけという線も無いではないが)それなら動いてみようかと直ぐに思い直す。
ゆっくりと。
それでも、かなりの力を込めて右腕を持ち上げてみる。
ただでさえこの拷問室に入ってから何日も動かしていない。
しかもこの負傷だ。楽に動かせる筈がない。
動くとしても相当な力が要る筈・・・
「!!」
「ほらね。自由に動く。」
勢い良く腕は跳ね上がり そのまま停止した。
寝そべった状態から、真上に右手を翳す格好になる。
「自由に・・・。」
「そう、時間制限は あるけどね。」
声は、温かく笑っているように聴こえた。
その笑顔が見たくて 振り返る。
起き上がって。 鎖が繋がっているのであまり大きくは動けなかったが、座り直し。
正面には、黒いマントを着た青年が立っていた。
にこり、と微笑んで。
それは予想通りの、 否、 予想以上の綺麗な笑みだった。
思わず見惚れる。
「貴方は・・・?」
「うーん。よく分からないよね。
だって僕は、君がどんな人か分からないんだもん。当然かな?」
「え?」
理解できなかった。
言葉は分かる。
その単語の意味も分かる。
けれど 文章としての意味が分からなかった。
「それはどういう・・・」
「まず君の事を教えてくれないかな?ということだよ。」
少年の表情を読み取ったのか、青年は分かりやすく言い換える。
「俺の・・・ことですか。」
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後書き (作:風名 2006.12.23 up:12.31 )
とりあえず、前編を上げます。
年の終わりに遣り残したことを、やってる乗りで。
でも、 これ、 桜満くんたちの話じゃないんです。
次の沙羅ちゃんのお題 01ってことになります
では、 後編は また今度上げますんで。
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