灰に還る不死鳥が、それでもまた生まれるように
闇に溶けた太陽が、それでもまた輝くように
どんな暗い夜でも、未来は何度でもやってくる
【不死鳥の雫】
「『むかしむかし、とおいむかし。空のかなたからわざわいがやってきました。
神様はこの世界の人々が不幸にならないように、わざわいと戦いました。
わざわいは神様を闇にとかしてしまおうとしました。
神様とわざわいの戦いを見た人々は、地上から神様の為に祈りました。
わざわいは空のかなたに追い返されました。けれど、わざわいは強く、勝った神様も闇に包まれて消えてしまいました。
神様が消えて、地上は真っ暗になりました。地上は神様が照らしていらっしゃったのですから、神様がいなくなって光がなくなってしまったのです。
人々は泣き暮らしました。するとどうでしょう、空が次第に明るくなってきました。
顔を上げると、空に神様が戻ってきているではありませんか。
始めは小さかった神様の姿もだんだん大きくなり、やがてすっかり元通りになりました。
神様が復活なさったのです。人々は喜び、神様に感謝して暮らして行きました、おしまい』」
そこまで読んで、デネボラはパタンと本を閉じた。
彼女の周りに座っていた、ミモザ、エリダ、アルファルドの三人は、きょとんとした顔で目を瞬かせた。
「……何それ?」
数秒の空白の後、アルファルドが漸く口を開く。問われたデネボラは表情を崩さず、淡々と答えた。
「日食の話です」
「いや、そうじゃなくてだな……これが具体的にどう日食と関わるかが知りたいんだけど」
七番目の月の終わりである今日は、日食が起こる予定だった。それをミモザたちのいる島でも観測出来る。島に建てられたポーラー学院では、月の初めからその話題で持ちきりだった。
この島には、世界にある四つの大陸から学生が集まってきている。土地のしがらみに縛られず学ぶ為、何処の国にも属さない『真っ白な』この島で、異国を知り、異を学ぶ。『カンバス計画』と名付けられた計画のもとに設立された学院には、『異』を知ることを求める人々が集まっていた。生まれも育ちも国籍も違う、たくさんの人々が。
しかし幾ら出身や文化が違えど、神秘的な事象には誰でも心躍るようである。学院内の誰もが日食の観測を楽しみにしていた。
ポーラー学院に属する研究班『プレアデス』の面々――ミモザたちも、例にもれず日食を心待ちにしていた。そして当日を迎え、自然と研究室はその話題で盛り上がる。
楽しみだと話していたエリダとミモザの会話を聞いていたデネボラが、
「日食と言えば――」
と本を引っ張り出し、徐に音読を始めた。それが三十秒ほど前のことであり、彼女の唐突な音読に至る経緯である。
「正確に言えば第一大陸の某国に伝わる話です。民話の括りに入れてもいいんじゃないですかねえ。まあこの話、日食のことを言ってるんですよ」
「……神様が闇に包まれて消える、つまり太陽が闇に消える。それが日食を指しているってことですね?」
エリダが言えば、その通りと小さな学者は頷いた。
「そうです。この民話は、太陽イコール神様って考えの、所謂太陽信仰を背景にしているんですけども」
「だからこういう話なのか。納得は出来るが、いかにも民話って感じの話だな」
「いや、伝承とかにリアリティを求められても困りますよ」
アルファルドの言葉に対して、デネボラは大仰に肩を竦めてみせた。
「逆に科学的な民話とか嫌じゃないですか。強酸をかけたら太陽が溶けて消えました、とか言われてもシュールなだけですよ」
「そりゃそうだな」
デネボラの真面目な意見――しかも彼女はそれを淡白な口調で言うのだから、真面目すぎて却って面白く感じてしまう――に一頻り笑い合う。アルファルドが椅子の背を軋ませながら大きく伸びをして「で?」と訊ねた。
「それで、何でその話を引っ張ってきたんだ?」
「? いや、単に思い出したーってそれだけですけど」
アルファルドとしては、単に日食に関係しているだけでなく、特別な意味がある物語だと期待していたのだろう。それもわざわざ音読するくらいだから、そこから話が展開していくと予想していたに違いない。それを裏切る返答に、彼は一気に脱力した。
「読みたかったから読んだんです。何となくって奴ですよ」
本を元の位置に戻しながら、やはり淡白な口調で言う少女の姿を見つめて、
(デネボラらしいなあ……)
ミモザはそんなことを思った。
デネボラは研究班プレアデスで一番新しいメンバーで、この春から加入した研究員だ。学年で言えばミモザたちより一つ下になる。と言っても、元々一学年の中でも年齢にはばらつきがある学院である。それゆえに今更学年の違いから生じる年齢の違いなど問題にもならず、デネボラはすっかりプレアデスに溶け込んでいた。
アトリアの知り合いであり、彼女の紹介で入ってきたデネボラは、随分と変わった少女だった。無感情なわけではないが、感情がミモザたちほどはっきり出る性格ではない。その上口調が淡々としているのではっきりした感情が掴みにくい。しかしそれでいて悪い印象は与えなかった。
風の噂で聞いた話に拠れば、某国の有名貴族の生まれらしいが、ある日突然ふらりと家を出て世界を放浪した揚句、片田舎に住む変わり者の学者のところに居付いたと言う。
本当か否か誰も知らない、ただの噂話だ。本人も語ろうとしないから誰も聞こうとしない。逆に謎めいていた方が『らしく』思える、そんな雰囲気を彼女は持っていた。
「でも、日食に纏わるお話にはそういうのもあるんですね」
「あれ? エリダが知ってる話は違うの?」
エメラルドの瞳を輝かせて、エリダが酷く感心したように言ったので、ミモザはそう訊ねた。科学者の少女は「はい」と首を縦に振り、顎に人差し指を当てて中空を仰いだ。自分の知る物語をより正確に思い出そうとしているのだ。
「私の国では、太陽の寿命が尽きて、一度は世界が真っ暗になるんですけれども、太陽は生まれ変わってまた人と生きていくって話です」
「マジで? 俺んとこは違ったな。人が神様に頼りすぎた結果、神様が弱って太陽がどんどん小さくなってくって話だ。感じとしては、さっきの話に似てるところもあるな」
俺の出身が第一大陸だからかな。アルファルドは最後にそう付け足した。それからミモザを見て、
「ミモザは? 日食の話とか昔聞いたりしなかった?」
「私? 私のところも、太陽の寿命が来て一度消えてから蘇るって話だった」
地域によって相似性があったり全く異なっていたりする。バラバラの場所からやってきた仲間たちの話を聞いて体感した。ポーラー学院――『異』が集まる場所だからこそ体験できることの一つだろう。そんなことを考えながら、ミモザは新しい仲間に話を振った。
「デネボラにはあった? 昔から聞かされた話とか」
「んー、ここに来る前にいた町にはありましたね。最も物語じゃなくて、詩の形だったんですが。確かこの本にも収められてた筈……」
パラパラと軽快な音を立ててページが捲られる。一瞬、それも断片的にしか文字は読み取れないが、捲っている本人はそれだけでページの内容が把握できる――正確には思い出せる――ようだ。暫く捲ってからぴたりと手を止めた。
「ありました。これです」
ぱっと開かれたページを覗き込もうと、三人揃って身を乗り出す。三人で額を寄せ合った結果、影でページは読みづらくなってしまった。
「……貸して下さい、読みますから」
三人の間からデネボラは本を抜き出し、再び音読を始めた。
「こういう詩です。
『太陽が焼け落ちる 紅蓮の炎が灰となる
眩い光が崩れ行く それは滅び それは終焉
天上を闇が飲む 漆黒が蒼を食む
夜が朝に溶けだして 光は眠りに落ちていく』」
テンポよく読みあげられる言葉は、何かを説明するには圧倒的に短い。なのに、ミモザは語られる情景をありありと思い描くことが出来た。
「『太陽が死んでゆく 光が絶えてゆく
時の流れは捻じ曲げられ 未来の姿を見失う
嗚呼、世界が落ちてゆく
嗚呼、世界が眠ってゆく――――』」
「あ、いたいた!」
滑らかな朗読を断ち切ったのは、耳に馴染んだリゲルの声だった。彼女があまりにも勢いよく研究室に駆け込んできたせいで、自動ドアの開く無機質な音すら少し勢いづいて聞こえた。
きらきらと瞳を輝かせている彼女の後ろには、アトリアとスピカの姿が見えた。
「リゲル!」
「まだこんなとこいたのかよ。もう時間だって!」
「え? あ、そうですね!」
エリダが時計を確認して、急いで戸口へ向かった。普段から大人しく落ち付いた彼女が今日ばかりは慌てている。それほど日食を楽しみにしているということだろう。
勿論今日を心待ちにしていたのは彼女だけではない。ミモザもアルファルドも、デネボラだってそうなのだ。だから三人もエリダに続いて足早に部屋を後にした。
パタパタと軽快な足音は走る者たちの心の弾みを現しているようだ。息を弾ませて建物の外へ飛び出すと、同じように外へ出てくる学生たちの姿が見えた。
太陽はまだ空にあり、普段と変わらず白い街を照らしている。それだけなら何も特別な景色ではない。けれどこれから何が起こるかを知っていると、普段通りの景色でも特別に見えた。
「晴れてよかったですね」
青空を仰いでスピカが微笑む。全くもって彼の言うとおりだとミモザも思った。晴れていなければ日食は見られない。十年単位で巡ってくるその日にぴたりと晴れてくれたことは、ありがたい偶然だ。巡り合わせに感謝しなければ。
心の中で「ありがとう」と呟いて、抜けるように青い空を見上げた。
ミモザだけではない。プレアデスのメンバーも、ベランダや屋上に姿を見せた学生たちも、全員が視線を上に向けている。誰もが観測具を片手に持ち、やがて訪れる現象を待っていた。
静かな期待が空へ向けられて、静寂が訪れる。あまりの静かさに、時計がないにもかかわらず時が刻まれる音が聞こえてきそうだった。
「あ!」
誰かが延々と続いた静寂を破った。空に変化が起きたのだ。声をあげなかった者も、驚愕と期待を顔に張り付けて太陽を見守っている。
太陽は変化を続け、その姿を細くしていく。誰もが声を失い、形を変えて行く太陽に釘付けになっていた。
どれだけ時間が経ったのか。世界は暗闇に包まれていた。
太陽を失くした世界はどうしてだろう、酷く不安になる。夜だって暗いのに、今だけ不安を感じる。本当は明るい時間だと頭が理解しているからだろうか。
(……違う、そうじゃない。怖いのは――)
あるべきものがないからだ。ミモザは気がついた。
太陽と言う、この時間にはなくなるはずのないものが欠けている。その巨大な欠落が恐怖を与えているのだ。
過去の人々が日食の物語において、何故『闇』を恐ろしい存在に置き換えているのか、同時に理解した。
ある国では『わざわい』に、ある国では『神を蝕むもの』に、ある国では『太陽の死』に。
太陽の消失を、一時的に地上を統べる闇を、彼らはそう現した。その心理もよくわかった。
知識として理解しているミモザたち現代人ですら不安になるのだ。日食の理論もわからない人々はどれだけ恐ろしかっただろう。突如太陽が欠けて世界が闇に包まれるなんていう不可思議な現象は、世界の終わりに思えても仕方がない。
神秘的な現象への感嘆と恐れ――畏敬の念にも似た感情が、身体をその場に縫い止め、時すら停まった気がした。
太陽が闇に飲まれ、そしてその姿を戻していく。気付けば地上はすっかり明るくなっていた。日食の終わりだ。
差し込む光が神秘のベールを引き剥がし日常を返す。同時に時間も動き出した。
光が戻ったことで身体を縛っていた『非日常』の鎖が消えたようだ。不思議な解放感にミモザは息を吐いた。
「いやーすごかったな!」
「はい。私、日食を見るのは初めてだったんですけれど、こんなに神秘的なんですね」
すっかり興奮しきったアルファルドは子どもに戻ったかのようにはしゃいでいる。彼に答えたエリダも楽しさを前面に押し出して笑っていた。
「自然現象ってすごいものね……こんなに感動するなんて」
「だよなぁ。いいもの見たわー」
アトリアも感嘆の声をあげ、リゲルは満足げに頷いている。スピカに至っては何と表現したらいいかわからないようだった。
元に戻った空は、神秘の終焉を告げ、その下にいる者たちに日常回帰を促す。次々と屋内へ戻る学生たち同様、プレアデスのメンバーも感動に満たされた心を抱えて建物へと引き返し始めた。
「感動ものでしたね」
最後尾を歩くミモザのところへデネボラがやってきて、ぽつりと言った。視線をそちらに向ければ、いつもと変わらず表情に目立った変化はないものの、声が少し弾んで聞こえた。淡々とした印象が強い彼女にしては珍しい。
彼女はくるりとミモザの方を向き、眼鏡のフレームを持ち上げながら感想を訊ねてきた。
「ミモザさん的にはどうでしたか?」
「うーん……月並みだけど、やっぱりすごかった。でも……」
少しだけ、不安にもなった。
そこまで言うつもりはなかったのに気付いたら言葉が口をついていた。
「不安?」
「暗くなった時、何となくだけどね」
明るいはずなのに暗い。あるべきものがない。
不可思議な世界に立ったあの時、不安定さ――例えるなら、夜の真ん中で朝が来ないかもしれないと怯えるのと同じそれを感じた。
「明日が来ないかも――って不安は、こんな感じかなぁ。私たちは日食だってわかってるけど、昔の人は怖かっただろうね」
そんな話を訥々としてみたら、デネボラは、
「そうですね…………でも大丈夫ですよ」
確りとした口調でそう言った。
確固たる自信に満ちた言い方に、反れていた視線が吸い寄せられる。
「人は暗闇を――先が見えないことを恐れます。でもそれは未知のものを恐れるのと同じこと。自然な反応なんです。だから人は信じるんですよ」
「……何を?」
「光の永遠性を」
デネボラは断言した。菫色の瞳に迷いはない。
「出てくる前に読んでいた詩――あれにはまだ続きがあるんですよ」
リゲルたちが来た時、途切れてしまった詩の続き。そこには何が歌われていたのか。
白い廊下に詩が流れ出す。
「『けれど嘆くことなかれ 火はまだ消えていない
祈りをくべよ 明日のために
嗚呼 彼方を見よ 灯る白こそ光なり
生まれ変わった 太陽なり
見よ あの永遠たる存在を
見よ あの消えない輝きを――――――』」
太陽の死に嘆き、深い暗闇を恐れた人々の詩。けれど、暗澹たる世界はそのまま幕を閉じたりしない。
滅びた光は、それでも還ってくるのだ。
光は消えない。だから諦めるなと。
未知の現象に遭遇してもなお、人々は未来を信じた。
(人は――強いんだな)
「これ、ぱっと見は日食の詩なんですけど、でも本当はもっと深い意味があるような気がするんですよ」
「深い意味?」
ミモザが鸚鵡返しに聞いた。
「はい。光は決して絶えない――だからどんなに暗くても諦めるな。どんな絶望に出会っても諦めるな。そう読むのは、深読みが過ぎるんでしょうか」
仮令失われても、光は何度でも蘇る。どんな暗闇に溶かされても、何度だって。それは例えるなら――燃え尽きて一度は灰に還り、それでもまた生まれてくる不死鳥のように。
そして光は照らしてくれる。人が歩くべき未来を、何度でも。いつまでも。
「生まれては消えるけれど、消えてもまた生まれる。このサイクルを巡る光は永遠で、ずっと私たちの傍にある。だから今は見えなくとも、やがて光に出会えると――そう考えたら、真っ暗な場所でも先へ歩ける気がしませんか」
それはただの学者の深読みにしかすぎなくて、ただの幻想かもしれない。それでもミモザはデネボラの考え方を信じてみたかった。
今よりもずっとわからないことが多くて、今よりもずっと不安の多かった古い時代。そこに生きた人々が、それでも前を向いていられた理由。それが伝承に秘められている気がした。
「ミモザー! デネボラー! 早く来ないと昼飯なくなるってー!」
「今行くよー!」
遠くから叫んでくるリゲルに大声で返して、「行こっか」と後輩に微笑みかける。そして歩みを速めて先に行く仲間たちを追いかけた。
窓が切り取った空には太陽が浮かんでいる。闇から蘇ったばかりの太陽は、遥か昔から全く変わらない光で地上を照らし続けていた。
(そのてのひらにこぼれおちるのは)
(なんおくものときをいきる ふしちょうのしずく)
(……ひとのこよ、あきらめることなかれ!)
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風名さんに送らせて頂きました。テーマは「日食」です。
夏に日食がありましたが、残念ながら私は見られませんでした。なので様子とかは調べた情報からの想像です。
ただ真昼間に暗くなったら、すごく不思議な気持ちなんだろうな……とは思います。
本文に直接不死鳥は関係ありませんが、永遠の象徴みたいな感じでタイトルに入れました。
09.12.12
〇 ありがとうございますっ 〇
大好きな空先輩から、17歳の誕生日プレゼントとして頂いたお話です!
2009年夏と言えば 皆既日食!(福岡は部分日食++;) というわけで…
前年に頂いたお話と、同じ皆さんのご登場。
やっぱり此処は 研究所としてはすばらしいところだなぁ、と 羨ましく思いながら楽しませていただきました。
お話を読んでいて思い出すのは ソロモン王の秘宝。 アランクォーターメンが、人喰い人種から逃れたときのエピソード。
やはり、太陽が消えるというのは、人間にとっては一大事で。
それを予言するなんて、もう 人間業ではなくて。
昔の人は、この皆既日食を、忌み嫌う傾向が多いような気がしてました。
でも。 復活と繋げるなんて素敵ですね。
皆既日食から、
前を向いて生きることのすばらしさを感じる… なんて。
がんばらなきゃ…うん。
サイトに続いて、風名の誕生日まで祝っていただき本当にありがとうございます。
17歳の風名もよろしくお願いします。
by 風名 (2010.1.4)
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