始まりの鐘は鳴り止まない そうさここは真白の宇宙
+white universe+
×××
――――『カンバス計画』
天歴2087年より施行された教育プログラムの総称。
土地による弊害を排し、広い知識を求める者への勉学の道を開く事を目的としたこの計画は、世界共通言語『コスモ』の使用を前提とした、世界中から集められた学生達による世界唯一の専門教育機関で試験的に行われる。本学院はこの計画を施行する為の三過程からなる教育機関である。
なお、計画の状況如何では、今後学院増設も検討される…………
――――ポーラー学院学則書第0章『設立理念』より抜粋
×××
この季節だから、と言ったような理由は特にはないのだろうが、雨季の終わりには大抵一日くらい天気の変わりやすい日がある。ここまでころころと空が様相を変えるのは年間を通しても三日あるかないかだ。だから雨が少なくなり、連日の雨天で懐かしくなっていた快晴を思いきり享受しようと気が緩むこの時期、誰もが手放せないのが折り畳み傘である。
ここに来る前は部屋の隅で眠っていることの多かった小さな傘も、数年ですっかり親しくなってしまった。ここから遠く離れた故郷では、雨は事前に予測され、高確率であたっていたから、わざわざ降りそうな日に出かけることもなかったのだ。
が、今はそうは行かない。ある程度の予報は出るにしろ、ここは故郷よりもにわか雨が多く、普段から傘が手放せない。取り分けこの時期は必需品だ
(それにしても今日は酷い雨)
つい小一時間ほど前まではからりと晴れていたのに、今は雫が激しく硝子を叩いている。空もあの鮮やかな青は欠片もなく、憂鬱を齎しそうな灰色が延々と続いていた。
まだ夕方にすらなっていないと言うのにすっかり暗くなってしまった空の下では、並ぶ建物が白い姿をぼんやりと浮かび上がらせている。白を基調とした街だからだろう、どれほど辺りが暗くても街の輪郭はわかる。そんな街がミモザは気に入っていた。
白く、何処か非現実的な雰囲気すらある街は、海の中央に浮かぶ島にあった。島、と言ってもさして大きくない。この街の大きさが島の大きさと殆どイコールで結ばれる。街と砂浜。二つだけが島の財産だ。
元々無人島だったらしい。当時の様子をミモザは実際には見ていないけれど、知識として知って以来、ここに街があること自体が何だかすごいことに思えて仕方がない。
「んー、ミモザー……だけ? 他の面子とかは?」
思考を立ち切ったのは急に入って来た仲間――リゲルの声だった。緩くカールしたミモザの髪と違い、彼女の茜色の髪は真っ直ぐに肩を滑り落ちている。艶やかで美しいものだったが、彼女自身は価値をわかっているのか、適当にまとめられていた。乱暴な扱いがいつも勿体無いと思うけれど、しかしその適当さが彼女らしいと言えば彼女らしい。
「アトリアは書庫。スピカは楽譜を探してると思う。エリダとアルファルドは見てないなあ」
「何だつまらない。あたしもどっか適当にぶらぶらしてくれば良かったな」
「外、雨だけど」
「そう、それ! この雨が悪いんだよ、これさえなけりゃなー」
ぼやきながら椅子を引き出して座ると、彼女は空いたテーブルの上に鞄から出したメイク道具を広げ始めた。
「今日は何色にすっかなー……ミモザぁ、どう思うよ?」
問いかけに振り返る。示されたのは何本も並んだマニキュアの瓶だった。
「専門だろ?」
研究班に所属する者は誰もが専門研究分野を持っている。ミモザの専門は色彩だ。色の名称、歴史、人に与える心理的影響、果ては人体の色素までを専門としている。色彩に興味があるだけあって、色彩感覚においても類稀なるセンスがあるミモザに、他の面々――主にファッションや化粧などの色彩に関わるものにこだわるリゲル――はよく助言を求めてくる。
「んー……こんな天気だもんねえ、これなんかいいんじゃない?似合うと思うけど」
「お、じゃあこれってことで。サンキュ、ミモザ」
笑って礼を述べると、「とりあえず爪は最後かなー」などと呟きながら化粧品を手に取り、そのまま化粧を始めた。リゲルと違ってこういった方面はよくわからないミモザであったが、化粧品、取り分けマニキュアの瓶の中で煌めく液体はどうにも魅力的に思える。やはり色彩研究者としての性だろうか。
暫く経ってから自動ドアが開くプシュ、という音がした。開けたのはミモザ達と同じ班に属する研究員、スピカだった。彼は戸口の真正面にある窓を先刻のリゲルと同じく一瞥し、元々顔に浮かんでいた柔和な笑顔に感嘆の色を滲ませる。
「いやあ凄い雨ですねー」
「スピカ」
現れた金髪の青年をミモザは呼ぶ。楽譜の詰まった箱を抱える彼の後ろで再びあの音を立てて自動ドアが閉まった。
「もうこの時期なんですね、忘れてました。ところでリゲルは今日は早いですね」
「雨の所為だよ、雨の」
スピカに言われて、彼女は嫌になるといった風に肩を竦めてみせた。
その向こうでまたドアが開く。仄暗い廊下に溢れ出した光が来訪者を照らし出した。
「遅くなりましたー」
「大丈夫だろエリダ、そんな事言わなくても。大体いつもリゲルはいないから……って、いる?!」
入って来たのは少女と青年の二人組み――エリダとアルファルドだった。
エメラルドの髪を三つ編みにして左右から垂らしたエリダは、雰囲気だけ取ればリゲルより年上にも思える。しかし眼鏡の向こうで煌めく瞳は女性と呼ぶにはあどけなかった。
対して彼女と共に現れた青年――アルファルドは、外見だけならもう少し年上なのだが、纏う空気は十代半ばで止まっているかのような印象を、恐らく誰もが受けるだろう。実際、何処のハイスクールにも一人は居るであろう典型的なやんちゃ盛りの少年というのが、決まって彼の第一印象であった。
「お前、一体どう言う風の吹き回しだよ?!ぜってーいない気がしたから俺のんびりしてたのに」
「いない気がしたから、って、いるとわかっていたらどうしたんです?」
箱から取り出した楽譜を前に作業をしていたスピカが、自らに向けられた物ではないがアルファルドの言葉に反応した。柔らかな笑みが、問いの理由が単なる好奇心と教えてくれる。
「そりゃすっ飛んで来たに決まってんだろうよ、スピカ。こいつがいるのに俺がいないとか、何か俺がサボってるみたいじゃねーか」
「というかサボリだろ。みたいじゃなくて」
冷たくリゲルが切り捨てた。携帯用の鏡に視線を戻し、どうでも良いと言う風にしている彼女とは対照的に、アルファルドはむきになって言い返す。
「お前ほどサボってねーよ!」
「ならそれでいいんじゃん?あたしより早く来る必要なんてないだろ」
「いや、そうなったらもうお前に負けたっぽい感じすっからやだね」
計算などそこにはなかっただろう。しかし放たれた一言は、負けず嫌いな彼女の闘争心を呼び起こしてしまった。眠たげな瞳に静かに炎が滾り、眦が上がる。
「何だよその言い方?あたしが普段負けてるみたいじゃんよ」
「いや普段俺の勝ちだろ?俺のが真面目だし?」
「あんたの何処が真面目なんだよ!」
閉鎖的な研究室によく響く大声で、最早手も出そうな勢いで口喧嘩を始めた二人を、抱えた荷物をそのまま抱き締めてエリダがはらはらと見つめていた。
止めた方がいいのだろう、しかしどうやって?
何かを言おうとしているが言葉を紡ぐことなく震える唇が、そんな彼女の中の困惑を第三者に教えてくれる。
「あーあ、また始まったねー」
不安げな彼女の隣に移動して、ミモザが溜息混じりに笑いかければ、漸くエリダは思うことを形に変えた。
「あ、あの、このままでいいんでしょうか、今日も……」
「いつも大丈夫だから平気だよ。エリダもそろそろ心配しなくて大丈夫だと思うよ」
「はあ……」
「この研究班が出来てからずっとこんな調子だけど、今まで何か問題あった?」
「……ないです、ね」
海色の瞳が、何処か遠い場所を探るように細められる。彼女が、共に過ごした数年を思い返しているのだとわかった。
「だからほら、日常茶飯事日常茶飯事!」
喧嘩の度に心配してしまう優しい少女の肩をぽんと叩く。するとそこに、研究班最後の一人がやってきた。
「なあに、また喧嘩してるの?」
ミモザ同様、今の状況には慣れっこと言った風な科白を呆れ混じりの溜息と共に吐き出した女性こそが、この研究班で唯一二人の喧嘩を調停できる人間だった。
「アトリアさん」
安堵を滲ませてエリダが彼女を呼ぶ。
「ご免ね、遅くなって。それより二人ともお止めなさいな」
凛とした声が二人の声でいっぱいだった室内に響き渡る。あんなに煩かったのに、何故彼女の麗しい声が掻き消されずに響くのかが不思議だ。
はっきりとしたよく通る声が聞こえた直後、リゲルもアルファルドもぴたりと静かになった。
「ア、アトリア……」
見る見るうちに二人の顔に、苦笑とも何とも言えない表情が広がっていく。それは過去の苦味を思い出しての表情だとミモザは知っていた。
(アトリア、怒るとお説教長いんだよねー……)
以前一度だけ、喧嘩を止めなかった二人に対してアトリアが本気で怒ったことがあった。二人が説教されている様子を、ミモザは初めだけ見ていたけれども、当事者でないために最後まで付き合わなかった。正確に言うのなら、最後まで付き合おうと思わないほどアトリアの話は長かったのだ。当事者二人には、あれは一種の拷問だ、とまで評される説教を、まさか二度聞きたい人間――多分人間でなくても――はいないだろう。以来、二人はすっかりとは言わないが以前よりは大人しくなったし、アトリアの言葉には迷わず従っている。
あの一件が普段温厚な彼女の恐ろしい部分を班員達に見せ、元々リーダー的だった彼女の立場をより一層確かなものにしていた。
今回も例に漏れず、喧嘩は忽ち鎮まり室内は怖いほどの静寂に包まれた。
しんとした部屋を見回して、
「わかれば宜しい」
アトリアが微笑む。そして彼女もまたリゲルやスピカと同じく外を見遣って息を吐いた。混ざる感情は呆れか感嘆か。半々だろうというのがミモザの見解だ。呆れを通り越して感動する。それほど激しく雨は降っている。
「凄い雨ね……毎年こんな感想を言ってる気がするけれども」
アトリアの感想に、ミモザの隣からも声があがる。回顧の念に似た気持ちが窺える声はエリダのものだった。
「私、初めてこの大雨にあった時吃驚しました……雨って、こんなに降るものなんだって知らなくて……」
「あ、そっか、エリダって第三大陸の生まれだっけ? 確か雨があんまり降らないんだよね」
「はい。ミモザさんは確か……」
「あたしは第二大陸。だから雨は割と降ってたなー。まあこんな大雨はなかったけど」
「これほど酷いのはどの大陸探したってないんじゃないのー」
リゲルの言葉に、「そうね」「だよなー」アトリアとアルファルドが同意し、スピカも頷いた。
「この島がイレギュラーなんですよ。四大陸の何処でもないここが」
ミモザ達の住む惑星には四つの大陸がある。第一大陸から第四大陸まで番号で分けられた大陸は、それぞれの陸地に幾つもの国家を有して存在していた。
しかしミモザ達の島はどの大陸からも離れて、どの国の領土でもない。
白い港町が一つあるだけの元無人島にこうして人が入ってきているのは、ある計画のためだった。
「そうね……でも、何処にも属さないからこそ成し得るのでしょう? 『カンバス計画』は」
アトリアが口にした『カンバス計画』。それこそがこの島に街が出来た理由であり、ミモザ達がいる理由である。提唱されたのは数年前になるだろう。
自らが島に降り立った日を思い浮かべながら、中空に向けてミモザは呟いた。
「土地ゆえのしがらみがない場所で、前提と偏見の障壁がない場所で、異国を知り、異人と出会い、『異』を受け入れる――そう言った目的の教育機関を設立し、学ばせる。そう言えばこの学院が建ったのは、そんな理由だったね」
例えば自国では学びきれない何かを知ろうとする時、手段の一つに留学がある。異国に渡り、自らの地にはない何かを手に入れる。有効な手立てだ。
だが障害もある。土地に根付く根本的な違い、例えば言語や文化が何より大きな壁となる。
だからこの島は生まれた。
何の歴史も持たない真っ白な島に学院を建て、学生の住まう街を建て、四大陸から学生を集めた。『国』の枠を越えて、世界中の知識を掻き集めたい者たちを。
「ま、今んとこその計画ってのは成功みたいじゃん?まあ計画って感じは当事者にはしないけど、兎に角あたし達の目的は十二分に達せられてるし」
「確かにリゲルの言う通りね」
「だろー、アトリアお姉さん。ってことで今日も助けてくれない?」
何処から出したのか、リゲルが手にした数枚のプリントをアトリアの前に突き付けた。それだけで用件は伝わるらしく、アトリアの顔に微苦笑が浮かぶ。このやり取りも班員達が見ている限りでは何度目かわからないので、その表情も尤もである気がした。
『カンバス計画』で建てられた学院には三つの過程がある。最初の数年は教養過程――共通認識として最低限必要なものを教えられる。次の過程は専門過程――即ち学生達がこの島に集まった本来の目的を遂げる過程だ。ある者は科学を。またある者は美術を。それぞれの目的を果たし、そして他の学校で言う『卒業』を迎える。そこから先は人其々の選択だ。学院に残って研究を続けるか。或いは大陸に戻って職につくなり何なりするか。
ミモザ達は現在『卒業後』の過程――学院に留まる、研究過程の途中だ。
この研究過程は専門過程と違いクラス編成が成されていない。残留者達が寄り集まって研究班を組み上げるのだ。
大抵の場合専門を同じくする者同士が集まる研究班の中で、ミモザ達の班――研究室ナンバー0028、通称『プレアデス』――は異質と言わざるを得なかった。
集う面々は誰一人として同じ専門を持たず、残留組で単に仲が良かったからとただそれだけで出来てしまった班なのだ。
ミモザの専門が色彩であるように、他の面々も専門分野を持つ。しかし同じ所属のエリダは科学を専門とし、アルファルドは気象学を、スピカは音響関係の研究を進めている。
そして残る二人は―――
「言語専門のアトリアならわかるよね、ね?」
植物学が専門であるリゲルは、時折研究の途中で必要となった外国語の資料をアトリアに訳してもらっていた。資料と一口に言っても、今から何世紀も昔に書かれ、今現在話者数ゼロなどという言語で記されたものもある。それを現在の共通語に訳せるのは恐らくアトリアだけだろう。専門過程時代から言語の天才と呼ばれた彼女が一体どれだけの言語を操れるのかは、ミモザにだってわからない。だが大抵のものなら読み書きは勿論話せるので、ミモザも読めない言葉の資料に出会った時はリゲル同様アトリアを頼っている。
「構わないけれど……少し、リゲルも勉強してみたら?この資料は確かに話者数も少ない、言ってみればマイナーな言語だけど……よく出てくる言語くらいなら学んで損はないはずよ」
何なら教えるけれど。アトリアが申し出るが、リゲルはぶんぶん手を振って断った。
「いやいやあたしは母国語とコスモで手一杯だって」
「そうだぜ、特技がサボリとエスケープのリゲルにこれ以上新しい勉強は無理だ」
「何だってアルファルド!」
リゲルは軽口を叩く青年を反射的に睨むけれど、すぐ傍に静かな脅威が佇んでいるのを思い出してそれ以上は言わなかった。代わりに溜息混じりに軽い調子でぼやく。
「あーあ、言葉が全部一緒だったら良かったのになー。ってかもうコスモって共通語があるんだから、わざわざ母国語とか国毎にいらなくね?」
「あー確かに。それは俺もたまに思う。てかさ、言語統一出来てんなら国も一つに出来んじゃねーの? そしたら将来的にこの学院も特別なもんとしていらないんじゃね?」
離れた場所からアルファルドが同意する。二人の会話を聞きながら、ミモザも少し考えた。確かに統一言語があるのなら、国毎に固有の言語を持つ必要がないだろう。コスモが公用語として作られる前ならいざ知らず、今は言語の面から見ても世界規模の統一が進んでいる時代なのだ。
コスモが公用語とされてからもう一世紀はゆうに過ぎた。世界各国で満五歳からの学習が義務付けられたこの言語を話せない人間はいないだろう。コスモによって言語統一を果たしたこの世界においては、誰もがもれなくバイリンガルというわけだ。
そしてアルファルドが言うように、言語統一が成された以上、全ての国をまとめることも不可能ではないだろう。元々民族が大して多くない惑星である。これが複雑な民族構成であったなら話は別だろうが、この惑星の規模なら夢物語ではない筈だ。それならば、今すぐ変わることは無理だけれど、長い時間をかければ歴史は統一され一つの国としての歴史が即ち『世界史』となる。すると今の時代で言う『留学』は、国内を移動するだけのこととなり、言語などによる弊害も格段に――ゼロと言っても過言ではないかもしれない――減るだろう。つまり、この学院が建てられた目的――建てなければいけなかった理由がなくなり、ここは特別な場所ではなくなる。
そんな未来を考えていたミモザの耳に届いたのは、
「―――――そうかしら」
静かな疑問の声だった。
凛とした、大きくないがよく通る声。自然と視線は言葉を発したアトリアに向けられた。ミモザだけではない。エリダも、スピカも、部屋にいる誰もが彼女を見た。
「確かに異なる言語や異なる国は私達みたいな人間には弊害になる……でも、全て一緒になってしまったら、私達の世界はそこで閉じてしまう気がするわ」」
「世界が、閉じる……?」
思わずミモザは小首を捻って反復した。
「私はそう思うってだけなんだけどね」
アトリアはそう前置きしてから続けた。
「私達は一個人である以上、生まれついた性格や成長過程に影響された、一つの考え方しか出来ないわ。でも、他人と出会えば他人の考え方を知り、新しい視点を開けるでしょう? 出会いによる変化は、確かに同じ国や言葉を持つ人からだって得られるけれど、でも――異国の人と出会うのとでは、少し違うと思うのよ」
「あ、それは私も思います」小さいながらも同意の声をあげたのはエリダ。一旦言葉を切ったアトリアから、今度は彼女へと全員の視線が移る。
「国民性……って言うんでしょうか。よくどこそこの国の人は穏やかで、あっちの国の人は大らかで、とか言うじゃないですか。全員に当てはまるわけじゃないし、偏見だって時にはありますけど……」
「あーあるある」
リゲルが何度も頷いてを示すと、エリダから僅かに緊張が取れる。どことなく安堵した顔になった彼女の語り口は、微かにだが滑らかになっていた。
「でも国で異なる『気質』はやっぱり多かれ少なかれあると思うんです。そういう根底的な意識の違いを持つ人に出会うことで、同じ場所にいたんじゃ全然気付かなかった見方や考え方を知ることが出来ると、私は思うんです。実際ここに来てそうでしたから」
最後の一言にミモザは入学した頃を思い出した。一番初めの年の雨期の終わり、今日と同じ大雨に当たった時だ。
酷く驚いたミモザに対して、ミモザの故郷よりももっと雨が降る――流石にこれほどではなかったらしいが、近いものではあったらしい――街から来た学友は慣れっこだと笑っていて、彼女の様子にまた驚いた。そして同時にそんな国があるのだと知り、雨天の国だからこその晴れへの渇望を知った。
その時交わした雨に関する会話は本当に短かったけれど、短い遣り取りが教えてくれた別世界に対する驚きは、おそらく忘れることはない。
異なる言葉、異なる歴史、異なる土地、異なる文化。異から生まれてくる世界は出会うほどに一個人の閉鎖的な世界を広げ、鮮やかにさせる。
「エリダの言う通りよ。私もそう思う。確かに違うという事実は困難も生むし、異を学ぶのは難しいけれど、でも簡単に生きられるからって全て同じにして、世界を一つの形に固定してしまうのは寂しいことだと思うわ」
「そうだね……」
気付けばミモザは呟いていた。違うからいい。ありふれた言葉が何故だか今は真理に思える。視界の片隅でリゲルとアルファルドが深く頷くのが見えた。バラバラの世界がどれほどの煌めきを持っているのか、二人は――否、二人だけでない、部屋にいる誰もが思い知り、価値を噛み締めていた。
「―――尤も私だって、この学院に来てから気付いたんだけどね。統一を目指す学院で気付くなんて、ちょっと皮肉かしら」
アトリアがくすくすと笑いを零す。「まあいいんじゃね?」と楽天的に返したのはアルファルドだった。
「世界の枠を越えて勉強できるのと、広い世界に触れられるのと、両方含めてこの学院のいいところってことでさ」
「ですね」
頷くスピカの横顔に急に光が当たった。忽ち光は照らす範囲を広げ、あっという間に室内が明るくなる。灯されていた蛍光灯はもう要らないくらいだ。
「お、晴れた!」
遠くを見渡すかのように手を翳し、突然明るくなった空をリゲルが仰ぐ。先ほどまでの雨は何時の間にか止んでいて、雲は空の彼方に流れていっていた。降るのも突然だが止むのもまた突然。それがこの雨の特徴だった。
「よーっし遊びに行くぞ! 港の近くに出来たカフェ行きたかったんだよなー。他に行きたい人ー!」
「そう言えばもう開店したんでしたっけ。気にはなってましたが」
「んじゃとりあえずスピカは決定ー。エリダも来なよ、カフェの後買い物行かね?」
「わ、私もですか?」
いきなり話を振られたエリダはいつも以上に慌てふためく。しかしリゲルは意に介さず、彼女の手をとって椅子から立たせようとした。
「どーせ暇だろ?あたし暇だし」
「いやお前が暇だからエリダが暇ってわけじゃなくね?」
「うーるーさーいーな! いちいち突っ込むなアルファルド!ってかあんたも来い。荷物持ち」
「いや俺は忙しいから。お前と違って」
「いいから来い。カフェにいるから買い物行く前に絶対来い来ないとハゲ薬を煎じて飲ませる」
本気か否か、若干物騒なことを言い残して、リゲルはエリダの手を引いて部屋を出た。興味があると言っただけで同行を決定されたスピカは、しかし嫌な顔一つせず、
「それでは行ってきますね」
丁寧に挨拶してから部屋を辞する。
三人だけになった部屋には落ちついた静寂が流れた。ミモザはよく晴れた街を窓から見下ろす。石畳の上に所々ある水溜りは、青空を映して煌めいていた。後ろから小さな、何処となく楽しさが滲んだ声が聞こえる。
「全く……皆自由でバラバラね」
「でもその方がいいでしょ? だって色んな考え――世界を覗けるじゃない」
振り返ってミモザは笑う。アトリアとアルファルドも同じ表情をもって答えた。
リゲルの自由さ。スピカの寛容さ。エリダの優しさにアルファルドの愉快さ、そしてアトリアの視野の広さ。一人一人の個性から生まれる思考と彼らが内包した歴史はミモザの世界を広げ、視点を変え、鮮やかな色を塗る。
それを思うと『プレアデス』が専門の違う面々で構成されていることは良かったのかもしれない。まるで関係のない分野が寄り集まっている、班としての専門性が皆無な研究班。しかし一見繋がっていない分野でも、自分の専門に影響を与えたり、理解を助けることに繋がっていたりする。例えば音楽や絵画といった美術には歴史が反映され、科学は色彩を生み出し、植物を知るのなら育まれる環境と気候を知ることでより深く理解が出来る。
性格もルーツも専門すらも違う仲間達。互いに与え合う影響は、時として各々の専門分野に、時として思考に、時として認識に変化をもたらす。
そして広がる世界。そして繋がる世界。
(それが――私の好きなもの)
雨上がりの街を目に映して、胸のうちでだけ呟いた。
残る水滴が反射して輝く大通りに見慣れた姿が現れた。先刻出ていったばかりの三人だ。
すると、リゲルがこちらに気づいたらしく振り返って手を振ってきた。ミモザが振り返すと、何事か叫んできた。しかし遠くてよく聞こえない。
「リゲルー、何ー?」
思いきり声を張って問い返すと、振られていた手が天上を指した。
「上見てみー! 虹ー!」
どうにか届いた声が言う。指差されるままに視線を上に向けると、確かに見事な虹が架かっていた。こんな立派な虹は久しく見ていない。
「ホントだー!」
わかったことを伝える為に叫び返すと、
「だろー! んじゃ行って来るー!」
リゲルが今一度手を振って、三人は歩き出した。頭が少しばかり上を向いているところを見ると、下は下で虹の話で盛り上がっているのだろう。
「いやー、にしても綺麗な虹だなー」
「そうね、久しぶり」
後ろから外を覗きこみ空を仰ぐ二人の会話を聞きながら、ミモザはふと思い出した。
虹の色は地域によって数が違う―――そんな話を。
ミモザの認識では虹は七色。だけど違う大陸から来た二人はどうだろうか。
「―――ねえ、あの虹何色に見える?」
首だけで振り返り、微笑みながら訊ねる。突然の質問にアルファルドの方はきょとんとしていたけれど、すぐに元に戻って、
「そりゃ決まってんだろ」
「違う答えって……あるの? ミモザ」
不思議そうに小首を傾げたアトリアと、当たり前のことだろうと言った風なアルファルド。
二人が答えた数が重なることなく、答えた本人達に驚きをもたらすのに、ミモザは異なる世界の美しさを垣間見た。
(ほら こうしてぼくらのせかいは)
(むげんのうちゅうよりあざやかにいきづく)
風名さんの誕生日に、遅れ馳せながら送らせていただいたものでした。
テーマは『異』だったのですが、きちんと沿っているかはちょっと微妙なところもある気がします……。
統一がどうのとか言語がどうのとかやってますが、仮想世界なんで、現実的に可能か否かは別問題として見てやってください。
もしこんな世界があって、全部一緒になってしまうとしたら……?くらいの話なんで。あくまでもifの話。
あと国民性とかも割と一般論。実際何処の人だからこうだとかあんまり当てはまらないと思います。ただ言語を学ぶとその土地の考え方がわかるっていう話はあるらしいです。
虹は日本では七色ですが国や地域によっては違うらしいですね。
登場面子の名前は全部星から、研究班名は言わずと知れたプレアデス星団からとりました。
08.08.25
○ ありがとうございますっ ○
風名の16の誕生日に空先輩からいただきましたお話です。
「異」という字で!なんていう無理なお願いを聞いてもらっちゃいました!
空先輩の書く世界ってほんとに素敵ですよね。今回も読みながらうっとり。
思わず頷いたり、微笑んだりしながら、多忙な毎日を忘れて夢中で読ませていただきました。
何回も読みましたよー!ヾ(>▽<)ゞ
他の文化を持つ人々と、国の最高研究機関で研究、とか 楽しそうですよね。
研究者、これ以上の幸せはないというかなんというか・・・
しかも色の研究とか音楽の研究とか・・・羨ましい
虹の件とかは知らなかったなぁ・・・あ、でも赤橙黄緑青藍紫(藍ってインディゴ?)ってのはきいたことありますね。セブンスタワー(笑)【注:ファンタジー小説のタイトルです】
虹の色・・・調べたところによると ドイツでは5色、スウェーデンでは6色だそうですよ。(桃色なんか入ってます)【ウィキペディア参照】
と・・話が逸れてしまいましたが。
他の文化を持つ人と仲良くするためには、広い心も必要なわけで、最近のカルシウム不足(=イライラが多い)はやめるようにしないとな とも思いました。
広い心を持とう。 うん。
統一言語・・・確かに実現は不可能かもしれませんが、母国語とは別に一つ、あるといいですね。ほんとに。
そんなことを思いながら。
お忙しいのに、ほんとうにありがとうございます!
大切にしますっ!!
※背景はSimple Life様からお借りしたものです。
2008.11.3.
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