蒼空の下で 君と出逢った
そのことに後悔は無い。
そして今
この空の下で 僕等は別れる。
そのことに後悔は・・・
*君と僕と*
少年は空を見ていた。
日曜日の昼下がり。
何もすることがなかったのだ。
・・・嫌な予感がする。
天気は快晴なのに、先ほどから身体が冷えて仕方ない。
症状は他に無いので、これはいつもの“勘”のような物だろう。
此れまでの暮らしが変わる、と直感が告げていた。
フーッと溜息をつく。
残念ながら、この手の予想が外れた事は無い。
不思議と空を見ながら思いついた未来は、本物になるのだ。
「・・・我ながら恐ろしいけどさ。」
小さく哂ってみるも、
その嫌な感じは消えなかった。
「なんか良い事あったの??」
月曜日なのに朝からルンルン気分の親友を、流石にほっとく訳にはいかないと思ったのか 星那は給食時間に問いかけた。
「え・・・分かる?」
「うん。顔に・・いや 体中に書いてあるよ。」
あまりに明るい返事を返されたので、逆に声の調子を下げながら星那は苦笑した。
珍しい事だ。
夢見がちと呼ばれる星那に比べ、どちらかというと現実的な人間である。
いつでも真っ直ぐな、ともすれば冷酷に聞こえるつっこみを加えるのは友瑚の仕事なのだ。
それが、今日は何を言ってもこんな感じ。
聞くまでも無く、理由の想像はできた。
「青空君からなんか誘われたの?」
「うん! それがねー 朝いちでさぁ。 今日放課後遊びに行こうって。
そんなの初めてなんだよ!いつも私から誘ってたのに、あっくんから・・・」
ノンストップで言葉が流れてくる。
星那はその台詞を聞き流しながら、青空の姿を思い浮かべていた。
彼の席は教室の一番隅にある。
ルックス抜群・運動神経トップクラス・成績学年最上位
御人好しで優しく、男女問わずクラスの人気者の彼が友瑚と付き合っている事実はあまり知られていない。
本人達に隠しているつもりはないのだ。
それでも、その事実を知っているのは星那と大地、それと最近引っ越してきた桜くらいだろう。
無口だからだと思う。
友瑚は、今はこんな感じだが、余計な事はしゃべらない性格だし、青空本人は 超 がつくほど シャイな奴だ。
いつもクラスの中心にいるくせに、あまり話さない。
星那の目に彼は、クラスの女子が そして友瑚が言うように 素敵な人間には映らなかった。
どちらかと言うと、 逆。
いつも淋しそうな目をした人間に見える。
自分の心を素直に言葉にすることが出来ない可哀想な男の子に見える。
「ねぇ ちょっと聞いてる??」
友瑚の声に現実に引き戻される。
非難の言葉だった筈なのに歓喜の叫びに聞こえたのは きっと星那だけでは無いだろう。
「うん・・・。」
「ほんと!! でねでねっ、私はここに・・・」
星那は三度苦笑する。
悪い事でなければ良い、と思った。
普段しないことをする、と言うのは 何かが変わる予兆だ。
そのくらいは友瑚だって分かっているのだろう。
良い方向に変われば良いのだが・・・。
親友の幸を祈り、そっと窓の外を覗き見た。
桜の花は満開だった。
その事実が告げられたのは、翌日の朝のことだった。
少年は、食卓で箸を握ったまま唖然とした。
「それは・・・。」
「本当だよ。」
にっこりと父親が笑っている。
我に返り箸を茶碗の上に置くと、机についた家族を見回した。
母、妹、姉、兄・・・
皆が祝福に満ちた顔つきで彼を見ている。
冗談ではないらしい。
「ありがとうございます。」
まだ信じられなかったけれど、にっこりと微笑んだ。
否、自然に笑みが零れてきた。
と、脳裏に一人の少女が浮かぶ。
無邪気に笑う、彼女のことが。
「・・・ でも。」
「そうだね。 準備期間は3日くらい、かな。」
父親が全てを見透かしたように、少年に言った。
・・・やっぱりな。
と、心の中で呟く。
期待はしていなかったが、少々厳しい現実だ。
少年は複雑な面持ちで、再び箸を取った。
約束の時間、五分過ぎ。
少年は苦笑しながら、桜の木の下に立っていた。
彼女が遅刻する事は珍しい。
・・・というより、少年自身が学校帰りの時間を計算しきれていなかったのかもしれない。
家が直ぐ学校の目の前にある、という少年の感覚からすれば当然の事だろう。
「悪い事したな。」
朝早くのいきなりのメールといい、なんと自分勝手な行動に出てしまったことだろう。
らしくもない。
少年は桜の木に寄りかかって目を閉じた。
空気が澄んでいる。見上げるまでも無く、今日は青天だった。
「ヒトヲカナシマセルンダネ」
「ヒトリジャナイヨ イッパイダヨ」
「ソレデモヘイキナンダネ」
「ジジョウイウノガツラクテモ キカナイヒトタチハモットツライノニ」
「しょうがいないだろ。」
いつもの声に、低い声で答えた。
物心ついたときから側に聞こえるその声は、不思議な事に他の人間には聞こえないらしい。
空に選ばれたんだ、と 胡散臭い占い師に言われた事がある。
なんでも国際的に有名らしくて、父の知り合いが大いに信仰してる関係で一度だけ会ったことがある。その人間性は好きになれなかったが、しかしその言葉は本当ではないのか、と時々思う。
先日の朝のような直感だってそうだ。
空を見ているときにしか起こらない。『本当になってしまう』直感を恐れて空を見るのを止めた時期には一切感じられなかったのだ。
空に 好かれている。
それが良い事なのかは分からないが・・・。
「ソラノミンナイジワル アオゾラダッテクルシンデルンダ」
「・・デモツタエルベキナノハカワラナイ」
「ニゲタラダメダ」
「カンシャトワカレノコトバをツゲルベキダ」
「ツゲルベキダ」「ツゲルベキダ」
空の精というのは大勢いるらしい。
少年は目を閉じたまま、その声を聞いていた。
その通りだった。
少年は今、逃げようとしている。
事情を何も説明せぬうちに渡米を決意した、そのままの流れで。
話は大分前からあったのだ。
倍率20倍。絶対に受からないと思った留学試験。だから仲間たちには黙っていた。
けれど受かってしまった。
それは朗報には違いないのだけれど・・・。
「あいつらに、最初から話しとけば良かったんだけどな。」
そうすれば、皆笑顔で見送ってくれた事だろう。
受かったんだ。 だから9月の新学期に向けて、今から英語学習の為に渡米する。
その言葉だけで、全員が祝福してくれた事だろう。
大地に星那・・・それから 彼女。
みんなも。
「イマカラデモオソクナイ」
「ミンナヤサシイ」
「アオゾラナニモイワナクテモユルシテクレル」
「デモアマエチャダメダ」「ダメダダメダ」
空の精の声が響く。
少年はゆっくりと頷いた。
「・・・分かってるよ。 だからまず・・・。」
そこで目を開ける。
気配を感じたとおり、其処には息を切らした彼女が立っていた。
かなり全速力で駆けて来たらしい。
それでも服装がばっちりなのは、彼女らしいところだろうか。
「ごめん、遅れて・・。」
「いや、僕が無理言ったし。」
目が合わせられなかった。
「いきなりごめん。」
「ううん。いいんだ。暇だったし。
というか私、すっごく嬉しかったよっ。」
―― 初めてだもん。あっくんから誘ってくれたの。
彼女はいつも通りの明るさで、少年の返事に答える。
それが逆に重かった。
少年は、言葉を捜して空を見る。
予想した通り、雲ひとつ無い青天だった。
「ボクサ デハジメルンダ」
「ジジョウヲゼンブハナスンダヨ」
「ガンバレアオゾラ」
「ガンバレガンバレ」
―― わかったよ
と小さく心の中で呟き、小さく深呼吸をした。
「あの・・・ 僕さ・・・」
桜は、昼間なのに何故か一つだけ上っていた星を見ていた。
「・・・大丈夫でしょうか。蜜野くん・・・。」
午前中に、彼は相談を受けたのだ。
『引越しの事を 彼女に伝えた方が良いか 否か。』
転入生だから、客観的に意見をくれるだろうと見越されてのことだったのだろうが・・・。
「僕だって、分かりませんよね。」
返した返事は、あまり気の利いたものではなかった。
今になって悔やまれる。
「萩永さん泣きませんかね・・・。
こればっかりは、星もどうしようもないでしょうが。」
2人の気持ちが分かるだけに、桜は小さく溜息をつく。
「蜜野くんは優しすぎるんです。
哀しそうな瞳で いつも何処かを見ている。」
色の薄い彼の瞳は、何処を見ているか分からない。
けれど、彼の考え方はよく分かった。
桜も同じようなものだったから。
―― 僕にはどうすることもできないですが・・・。
諦めたように呟きながらも祈る事を止めない彼に、 星は小さく一つ瞬いた。
「えー!!ほんとっ?? 凄いね。凄いじゃんあっくん!!!」
青天の下、彼女の歓声が響く。
「・・・・・・」
「外国行けるのっ。うわぁ カッコイイ。さっすがだよ。」
予想外の反応に戸惑う少年は、返す言葉を見つけられなかった。
「頑張ってきてね。
んで、出発はいつなのかなっ?」
満面に笑みを湛えて彼女は少年の顔を覗き込んできた。
一歩、後ろに下がる。
・・・こんなに近かったら、彼女の表情の変化を嫌でも受け止めないといけないじゃないか。
「シカタナイ」
「アオゾラノセイダカラシカタナイ」
「シカタナイシカタナイ」
空の精達の声に押し戻され、もう一歩下がりかけた足に力を込めて踏み留まる。
「・・・3日後...なんだ。」
「えっ??」
無理して作っていた彼女の表情が一瞬曇るのを、少年は見逃せなかった。
思わず顔を背ける。
人を傷つけるのは嫌だった。
それは最早優しさじゃなく、臆病。
自分のことが大嫌いだ。
そのことからでさえも これまでは逃げていた訳だけれど。
だから・・・
「ごめん、急遽決まって・・・。
受かるとは思わなかったんだ。だから話してなかった。
ほんとごめん。」
伝えたかった。
本当は桜に相談するまでも無く、空の精に応援されるまでも無く、したかった事なのだ。
それなのに 背中を押して貰うまで踏み切れない。
やはり駄目人間だと思う。
あまりに臆病だと思う。
思い切って彼女に視線を戻す。
驚いたことに・・・微笑んでいた。
「・・・うん。 びっくりしたけど・・・良いんじゃない?夢叶うんだし。
私は・・・淋しいけどさ。一番のあっくん応援団だもんっ」
「・・・」
少年は言葉を見つけられなかった。
その笑顔に、愛しさを感じる。
こんなに思ってくれているなんて、正直考えていなかった。
「その話だと、3年・・・半かぁ。
長いね。 長いけどさ、 私は待ってるよ。きっと。
だって此れまでの人生で、あっくんくらい素敵な人 一度も会ってないんだよ?
これからだって出会えないって。絶対にっ。」
ガッツポーズをしながら、彼女は叫ぶように宣言した。
彼女の瞳が潤んでいる。
笑顔を壊さぬまま、その瞳は泣いていた。
・・・彼女らしいと 思った。
何か言葉をかけなければ。
焦る。少年は自分の中の辞書を懸命に捲っていた。
「ゴメンジャナイ」
「モットイウコトホカニアル」
「アルアル」
・・・ちっ、わかってるよ。
空の精に向かって、少年は舌打ちをする。
謝るところじゃない。
此処は素直に言葉を紡ぐべきなんだ。
「ありがと、な。」
それが彼の気持ち。
「ううん。頑張ってね。」
堪えきれなかった物を流し、それでも彼女は笑っている。
笑ってくれている。
「ああ。」
少年は空と共に頷いた。
三年後の九月
彼等がどのような再会を果たしたのかは
また別の物語。