全てを流す 忘却の雨
+夏の雨+
この世の中が嫌になる時は誰にでもあると思う。
死にたくて、死にたくて仕方無く、夢を見る事さえ出来なくなる日々が。
その長短は人に寄る。
一日だったり、一ヶ月だったり、一年だったり。
後から思えば、馬鹿らしい事に悩んでいたり、逆に本当に深刻な問題を抱えていたり、案外理由が無い事もある。
僕の場合は、生涯を通して後者だった。
死にたくて 夢が無くて 何をやるにもだるくて。
だから、僕にとっては。
その笑顔が、愕くほど新鮮だったんだ。
そんなに輝いているものは 初めてだったから。
いつから其処に居たのか
全く覚えていないのだけれど。
僕は窓のある広い部屋で彼女と2人
向かい合って立っていた。
「君はさ。」
にこりと笑った彼女が言う。
「君は、どうして生きてるのかな?」
そんな問いの答えなんて、僕が持ってる筈が無いのに。
誰だって知っているその事実を、しかし無視して彼女は問い続けた。
「死んでも良かったんじゃない?」
確かに 死んでも良かったのだ。
死んだって、別に哀しくない。
少なくとも僕自身は。
僕自身にダメージがある訳ではないのだ。
寧ろ世の中が嫌いな僕にとっては そっちの方が良いのだろう。
良いのだろうとは思う。
けれど、
「理屈じゃ、ないんだよ」
呟くように 僕は彼女に言っていた。
「死ぬのも面倒くさいじゃないか。」
「そうかも、しれないね。」
予想に反し、反論は来なかった。
少し安堵する。
なんとなく、反対されるのは嫌いだった。
自分を認めてもらえないみたいで、昔から嫌なのだ。
「我儘だよ。」
「え??」
心の声に答えるようなその言葉に、僕は驚く。
「我儘、じゃない?
自分勝手、の方が正確かしら?」
――それじゃ生きても楽しくないわね。
彼女は、僕の反応を無視して言葉を続ける。
真っ直ぐだった。
真っ直ぐに襲ってくるようなその言葉は、
しかしキラキラと輝いているようだった。
「人の意見を認めない人間ってのと同義になるけど、
でも、助け合えない人間が暮らしやすい社会なんてこの世の中の何処にもないわ。」
「そう なのかな?」
言われるままの言葉を受け止める。
無意識のうちに受け止めていた。
普段と 何かが違っていたのだ。
自分が透明になったような そんな感覚で。
「そうでしょうね。」
彼女はあっさりと言葉を返した。
「雨の中にでも答えを探しなさい。」
言われて、窓へと顔を向ける。
いつの間にか雨が降っていた。
雨季は終わった筈なのに、
先ほどまで晴れていた筈なのに。
しかし何処かで安心している自分を感じる。
真っ青な空は苦手だった。
だから・・・
「あれ?」
視線を戻すと、
彼女は消えていた。
「・・・っ??」
小さく飛ばした疑問符が、虚しく空気の中に溶ける。
「・・・俺、今誰と話してたんだろう?」
―― 何処でもないこの場所で、
誰と 何を どんな風に…
何かを話した、 気がするけれど、
しかし考えてみれば その相手なんて 居る筈が無い訳で。
何も覚えていなかった。
数秒前までのことなのに、何一つ覚えていなかったのだ。
しかし、心はすっきりしていた。
生まれてから今まで感じたことが無いくらい軽く、飛んでいけそうなくらいに思えた。
「なんだか分からないけど...。」
―― ありがとう
とりあえず、
その何だか分からないモノに向かって頭を下げる。
雨が窓を叩く。
強く 強く。
何かを諌めるように。
何かを教えるように・・・。
僕は一瞬だけ 目を閉じた。
何かが見えるような気がした。
先ほどまで話していた誰かが・・・。
しかし覚えては居なかった。
おぼろげな輪郭だけを思い浮かべ、それを頭から追い払い、僕は目を開けた。
やるべきことは過去の回想ではなく
今を生きることだから。
「まずはとりあえず、あいつと仲直りだな。」
先日大喧嘩をした、いつでも側に居てくれた彼と仲直り。
頭を下げて謝るという事。
批判を真正面から受け取るという事。
それが僕の最初の課題だった。
空が綺麗に輝いている。
透き通るように何処までも。
手が届きそうなくらい近くに。
・・・ 美しかった。
美しくて、可愛くて・・・昔から大好きだった。