はらりはらりと捲れる季節
貴方と過ごした日々が舞う
夏の風吹く幻の中
夢の傍で 永久に 永久に
++幻日記++
「今度の日曜、空けといてくれるか?」
そう声をかけられたのは一週間前のことだ。
―― 空けとくも何も、日曜に予定なんてないよ。
笑顔を無理に作って言葉を紡ぐ。
珍しく向うから誘ってくれた。
そのことを素直に喜べばよいものを、しかしその時既に由美は訝しんでいた。
「どうして?」
訝しく感じれば、素直に言葉が出てしまうのが彼女である。
「・・あー理由なんているのか?」
テスト終わったしな。
彼はしかし、いつもの気怠そうな口調で嘯くと、じゃっと手を振った。
家では妹が待っている。足早なのも仕方がないのかもしれないが、けれどやはり空しい。
遠ざかる背中をぼんやりと眺めながら思う。
家は隣同士、お互い孤児なだけあって彼が来たばかりの頃は食事を一緒にとることも多かった。
しかしあの事件の後はそれもない。
二人の兄的存在である雪夜が大学野球に忙しくなったと言うこともある。
収入源を失くした為に、三人・・・否、桜満の妹楓葉と彼の家に居候している少女紅赤も入れて五人、がそれぞれアルバイトに勤しまなければ生活出来なくなったこともある。
皆で過ごす時間と言うのは極端に減った。
淋しくない、と言えば嘘になる。
このまま絆が薄れてしまうのではないかと、不安になる。
そんな中、人を誘ったことなんて一度もないと言っていいほど無愛想な桜満が自分を呼び出すのだ。
何かある。
そう考えずにはいられない。
時計を見ると約束の時間の十五分も前だった。
隣の家なんだから待ち合わせ場所なんて決めなくて良いのに、と思うが、彼は学校の校門前を指定した。
テスト後初めての休暇、ということもあり、良心的な部活動は全て休んでいる。
校内は普段にない静けさを保っていた。
明日からまた始まる、生徒達の賑わいを楽しみにしているように。
梅雨らしい、ジトジトとした空気が身体に纏わりつく。
雨が降りそうだ。
彼に指定された為に着てきた制服のリボンの赤色が、何故か不気味にどす黒く映った。
あの日の血の色に、それは何処か似ている。
ゾクリと、背中に悪寒が走る。
―― 馬鹿よね
自分の思考に首を振った。
何度も夢に出てくる情景が、鮮やかにまぶたの裏に浮かぶ。
恐ろしい。怖い。
・・・そうあの日の事件は悪夢よりも酷い現だった。
「毎度、早いなぁお前は。」
急にかけられた言葉に顔を上げる。
見慣れた姿が其処にはあった。
ひょろりと高い身長に、あまり気を使ってないだろうボサボサの頭、
しかし顔がなかなか良いので様になっている。
彼もまた制服・・学ランをカッターの上に羽織っていた。
「てか・・夏なのに学ランですか?」
「今日寒くねぇか?」
問いかけに問いかけで返す規則違反の答えを発した後、ブラリと彼は歩き出した。
ついて来い、とも言わない。
そのまま当たり前のように歩き出す。
由美も当たり前のようについて行く。
時計を見れば、まだ時間の十分前。
彼も結構几帳面な性格なのだ。
「顔色、悪いぜ?」
「・・え、そうかな?」
暫く歩いた後、唐突に彼は訊いてきた。
由美は動揺を隠そうと、ほんの少し視線を逸らす。
「テストのストレス、かなっ?」
「んな訳ねぇだろ。」
―― お前 いっつも余裕こいてテスト受けてるくせに
ふっと鼻で笑うようにしながら、桜満は茶化す。
由美の必死な声を笑ったのかもしれない。
「お互い様でしょ。」
―― 勉強なんかしないのは、寧ろ桜満の方じゃない?
それでそこそこの成績はとるのだから凄い。
専ら『がり勉』と呼ばれる人たちの恨みを買うのも仕方がないような気がする。
「先公がいい加減な問題ばっか作ってっからだよ。」
「それ、みんなの前では言わないでね。」
「そだな。」
二人で顔を見合わせ、そして笑う。
なんだか懐かしい気がするのは、何故だろう。
毎日顔を合わせているのに。
登下校は一緒なのに。
「お前さ。」
彼は話す時由美の眼を見ない。
真っ直ぐに、進行方向を見つめたままポツンと言葉が発された。
「ん?」
「無理してるよな。
傍目、見てて辛そうだぜ。」
今度は問いかけではなかった。
はっきりと断言される。
反論したいのに、言葉を返せない。
「・・・先輩も言ってた。
様子が可笑しいって。楓葉も気づいてた。
お前さ、何そんなに根詰めてんだよ。」
―― 寧ろ楽になっても良い筈なのにさ。
「そんなこと」
―― 聞く為にわざわざ誘ったの?
迷い無く発される桜満の台詞に思わず発しそうになった言葉の語尾は空に消える。
訊くまでも無いことだ。
足を速めた背中を追いながら、由美は涙を堪えていた。
・・・ 心配、かけちゃってたんだ。
人に迷惑をかけないで生きる。
由美のモットーが、いつの間にか崩れ去っているらしい。
昔見たような景色が、横を過ぎていった。
自分が、桜満を助ける筈だったのに
いつの間にか逆の立場になっていたなんて・・・
「あ・・此処・・・」
ふと顔を上げると、其処は展望台のようになっていた。
いつでも曇っている空の下、見慣れた町が遠く映る。
見覚えがあった。
此処は、あの日・・・
「そう、お前が連れてきてくれた場所さ。」
やはり視線を向けずに彼は照れくさそうに言った。
「そして今日は俺がお前を連れてきた。」
―― はじまりの場所、だ。
その言葉をきいて、ハッとする。
全てが始まったのが此処だった。
否、此処自体では何も事件は起こっていない。
けれど由美が此処に桜満を連れてきたことが全ての始まりだった。
此処からの帰り道で紅赤と会って、
真実に近づいて、
先輩を巻き込んで、
定められた運命を動かすきっかけとなった。
だから此処は謂わば
『はじまりの場所』。
今の彼らの根源なのだ。
「・・・俺、何処にも消えねぇよ。」
桜満の声がポツンと呟いた。
顔を上げると、珍しく彼と目が合った。
少し茶色がかったその瞳は、そう何度も見つめたことがある訳ではないが、いつ見ても美しい。
「俺はお前の側にいるから・・・安心しろって。」
―― 会う回数、過ごした時間だけが絆じゃないだろ?
忙しさは仕方が無い。
一緒にいる時間は短くなるかもしれない。
でも、心はいつでも傍にあるから
全ての言葉を彼の瞳が語る。
その吸い込まれそうな光が語る。
「うん、分かってる」
心の重みがすぅっと引いていくのを感じる。
にこりと微笑むと、桜満の口元も綻んだ。
そして照れ隠しのように彼は再び街を見る。
「じゃ、皆も呼ぼうか。」
「え?」
「今からピクニックさ。」
―― 楓葉と紅赤ちゃんが弁当作ってる。
彼はそう言うと、つい最近買ったばかりの黒い携帯電話を取り出した。
「先輩、此方の用事は終わりましたよ。」
「了解。もう来てるから。」
かなり大音量でしゃべっているのか、横に立っている由美にもその会話の内容はしっかりと聞こえてきた。
雪夜が付け加えた最後の台詞に驚いて辺りを見回す。
何故か、電話の外からも音が聞こえた気がしたのだが・・・
「雪夜お兄ちゃん速いですよ〜。」
「待ってくださいっ」
聞き慣れた少女達の声が、そのタイミングで響いてくる。
「・・・もうつくから・・・ ほら。やっほ後輩達。待たせたな。」
満面の笑みの泡消雪夜が其処に立っていた。
そしてその後ろには大きな荷物を持った二人の少女。
「桜満さん、ちゃんとお弁当、作ってきましたよ。」
「お兄ちゃんの好きなの、ちゃんと入れてるからねっ」
彼女達の笑顔も眩しいくらいに光っている。
由美は実際、ほんの少し目を細めてしまった。
「サンキュー楓葉、紅赤ちゃん。
先輩も忙しいのに態々ありがとうございます。」
桜満は驚いている由美を他所に三人に駆け寄る。
女の子達の荷物を手早く受け取って、そこにレジャーシートを広げた。
「いや、いつも弁当作ってもらってるしな。
それに なんか久々じゃないか、みんなでこういう事するの。」
雪夜も話しながら、せっせとお弁当を並べている。
そこで初めて由美も我に帰った。
「うわぁおいしそう。 食べていいの?」
「勿論だよ。」
「味にはあんまり自信ないんだけど・・・」
「あー ちょい待った。そのソーセージ俺食べる〜」
「先輩 子供っぽいですよ・・。」
賑やかな日常が其処にはあった。
嘗ての日々が。
否、見失ってただけで いつでも傍にあった時間が。
―― 幸せ、か・・・
見上げた空は未だ曇っている。
けれど光を帯びていた。
ごめん 桜満。
私 間違ってたよ。
幸せって
今の私のことを言うんだよね。
お願い
いつまでも 傍にいて
信じてるから