たった一つの願い事は
きっとあの星が叶えてくれる。
++星桜++
「あーん、ちょい早くすぎたかなぁ。」
少女は時計を見て、溜息をついた。
針はまだ待ち合わせ時間の30分前を示している。
初めて来る公園だったので迷う時間も考え、早めに家を出たのが間違いだった。
「だって、思ったよりすぐ見つかっちゃうんだもん。」
自分自身に言い聞かせるように、少女は続けて呟いた。
「分かりにくい場所って、友ちゃん言ってたもん。」
夜桜の名所に行こう
そう誘ってきたのは少女の親友、萩永友瑚だった。
断る理由は少女にはない。
二つ返事でOKをしたのだが・・・。
「寒いなぁ。」
まだ、冬が明けたばかり。
ちょっと無理をして出している足に、冷たい空気が突き刺さる。
風は容赦ない。
ただでさえ短いスカートを、更に上へと巻き上げる。
少女は慌てて片手でスカートを上から押さえた。
まだ明かりは残っているのだが、ちびっ子達の姿は見当たらない。
温かい家の中で夕食をとっているのだろう。
近くの民家からは美味しそうな匂いが流れてきた。
ゆっくりと辺りを見回してみる。
夕焼けは、もう見えない。
置き忘れられたのだろう。
砂場に投げ出された真っ赤なバケツが、薄闇に浮き上がって見えた。
と、視界に白い何かが映る。
釣られて顔を少し上げると、そこは桜色の世界だった。
小さな踊り子達が風に舞って降りて来る。ふわりふわりと、予想外の方向へと動く。
その一つ一つを目で追うと、風の動きが見えるようだった。
風も気紛れなんだな、とそう思う。
妖精を捕まえようとしてスカートを持っている手を離して目の前に伸ばすと、桜の花びらは、逃げるようにその手から零れた。
公園の中でも一際大きな一本桜の下。
小さく溜息をついて、少女は背中を木の幹にピッタリとつけてみた。
なんとなく温もりを感じた。
木に血なんか流れて筈無いのに。
木が暖かい筈無いのに。
「それは違いますよ。」
不意に、誰かの声がした。
驚いて振り向いてみる。
一番に目に入ったのは、風に吹かれて揺れるサラサラとした髪だった。
続いて、彼が人であることを知る。
少女と同じくらいの少年が、其処に立っていた。
桜色に溶け込む彼のその姿は、木の精のように見えなくもないが。
「え・・・?」
「僕達だって生きているんです。」
にっこりと、彼は微笑んだ。
少女の思考は緊張のあまりに止まる。
いつ彼が此処に来たのか、覚えが無かった。
しかし、当然の如く彼はそんな少女の思考には気づかない。
それでもその表情に疑問を持ったのか、あれっ?と首を傾げた。
「・・・気分でも悪いのですか?」
「え、いえ、違います。」
少女は慌ててそう答えた。
今の状況がどうなっているのかよく分からないけれど、無礼な事をしてはいけない、と思う。
例えば名前を聞くとか・・・。
「それでは、先ほどの続きです。
桜には、確かに血は流れていないのですが 体中に水が巡っているんですよ。
その為の管だってたくさんあります。」
―― それは まるで人間の血管のように。
と彼は付け加えた。
「植物と人間って似ていますよね。
悲しんだり、喜んだり、恋したり。それは意外なところでも繋がっている。」
彼は再び、しかし今度は何処か淋しそうに笑った。
少女はその笑顔が気になったのだけれど、何と言葉を紡げば良いのか分からない。
笑みの理由なんて、名前を聞く以上に失礼な問いだと思った。
「恋、ですか。」
曖昧に相槌を言って、問いを発する代わりに天を仰いでみた。
キラキラと、宝石が零れている。
風に舞うことはないけれど、それはまるで桜だと思った。
「・・・桜は、人間よりも星に近い気がしますけど。」
星から視線を逸らさずに、思ったことをそのまま呟いてみる。
彼が横で微笑んだのを感じた。
「そう、ですか?」
「はい。」
木から舞い降りてくる花弁達と、空いっぱいの星達が交差する。
紺のキャンパスは幻想的に煌いていた。
「星、って人間の憧れで、とっても素敵で。
何と言って良いのか判らないけれど、手の届かない存在 というか・・・」
と、少女は其処で言葉を止めた。
星は綺麗で、桜は可憐で。
星は遠くて、桜は儚くて。
どう言葉に表して良いのかわからない。
「桜もとっても素敵です。
星に願い事をしたら叶う、と言うけれど、桜に願い事をしても叶う気がします。」
「それは、どうでしょうね。」
視線を下ろすと、少年は苦笑していた。
その瞳は遠く・・・星を見ている。
少女は、ふと目の前の少年がいなくなってしまうような気がした。
よく分からないけれど、直感。
「あ、 あの。」
もっと話したい。
もっと、 話したい。
初対面の人相手に、其処までの感情を抱く自分に疑問を覚えながら、少女は口を開こうとした。
「僕は星に憧れます。」
だが、少年が先に呟いた。
真っ直ぐに、星を見つめながら。
「僕は恋をしますし、僕は星に願います。」
そこで彼は、視線を少女に絡めた。
その光の深さに、囚われる。
クスッ、と彼はそんな少女を笑った。
そして、静かに口を開く。
「君と一緒にいられれば、と・・・」
スーッと、涼しい風が吹いた。
その風速に、思わず瞬きをする。
と、 少年は消えていた。
跡形も無く、消え去っていた。
後に残ったのは、風に吹かれて舞う花びらと、満天の星空。
砂場には赤いバケツが相変わらずに忘れ去られている。
少女は唖然とした。
少年がいなくなった事に。
そして・・・
「最後の台詞は・・・??」
もう辺りは真っ暗だった。
街灯の明かりがぼやけているを見て、少女は自分が涙を流している事に気がついた。
闇の向こうに、一瞬のような出会いだったけれど、彼のことを好きになった自分を見た。
「星那、待った〜?!!」
聞きなれた友瑚の声に我に返る。
「あ、友ちゃん?」
「嘘、あんた泣いてるの?? どうした?何かされた?」
怖い思いをしたと思ったのだろう。友瑚は素早く携帯電話を取り出す。
「事件なら、すぐ連絡しなきゃ。
大丈夫、警察がちゃんと解決してくれるから。なんでも話してごらん。」
とんでもない方向へ行きそうな話に、少女は慌てて首を振った。
「・・・違うの、友ちゃん。そういうんじゃないから。」
「え・・・じゃぁ?」
友瑚の問いかけを、半ば無視して 少女はもう一度空を見上げる。
桜が、 星空に被さった。
・・・その様子は、桜が何事かを星に訴えかけているようだ。
それなら、彼は自分のことで精一杯だろう。願い事をする訳にはいかない。
少女は目を閉じて、心の中で星に祈った。
『彼と、また逢えます様に・・・。』
「星那、星那、大丈夫なのっ??」
「あ・・・うん。」
親友の声に目を開ける。
遠くの星が、一瞬煌いた気がした。
それから 数日後の事である。
少女の学校に転入生が来た。
彼は名前を 「恩雫桜」と言ったそうだ。